ロボの「禁酒技術開発日記」。飲むか?生きるか!?

「普通の禁酒」とは一風変わった「オリジナルな手法」でアルコールと戦うブログです。

禁酒17日目。アル中の回復率。

アル中の回復率っていうのは、どこが出処かはわかりませんけど、良く1%(100人に一人)とか2%(50人に一人)とか言われてますよね?。

 

まあ、どのみち凄く回復する人が少ないというのは確かなんですよね。

 

私も禁酒してみて痛感したのは「元を直さないと難しい」という事でした。

そもそも、アルコール依存になる人というのは「人生がうまくいっていなのに、その状態を長年放置していた」からそうなると思うんですよね。つまりはこの段階ではまだ肉体的というよりは心の病気なんですよ。(ここで直さないと、「精神依存」から本格的な「肉体依存」になり、麻薬中毒並みの困難な治療になります)

 

私も自分がシラフでいるときに感じる年々大きくなっていく心の穴の正体が何か分からずに、そこから逃避する意味で飲酒してたんですけど、もちろんそんな事は禁酒を決めた時には意識してなくて、ただ「これ以上飲みすぎると、さすがに死ぬからもうやめよう」くらいの気持ちで始めたんです。

つまりは「本質から目を背けたまま、その症状だけを対処療法で抑え込もう」としてたんですよね。

 

でも、さすがにこのやり方はしんどいですよ…。

 

船底に穴があいたまま、その穴を塞ごうとせずにただひたすらバケツで水を汲み出して一時的に沈没を抑えるやり方なので、とにかく心が休まらないですし、力尽きたらもうそこで終わりですからね。これでは労力が無駄にかかる上に、成功しにくいやり方だと思うんです。

 

多分簡単に断酒できる人というのは、この「穴」が比較的に小さい人で、逆にほとんどのアルコール依存の方は「かなり大きな穴」が心に空いているいるから回復しにくいと思うんですよね。

 

人間が厄介なのは、他の動物と違って「心が二つ」ある事です。

「個人」でありながら同時に「社会的」な存在でもあるという二重存在である事を強いられている複雑な存在だからですよ。

もし心が一つなら「酒は体に悪いからやめよう」で済むはずですし、それが当然ですよね?。

 

でもそれができない、何故か?

 

それは表面に現れている、それまでの社会生活によって作り出された「社会的自我」が「酒は体に悪いし、社会的な体面も悪いからやめよう」と意識決定したとしても

内心にあるもひとつの「本当の自我」が「それじゃ酒以外に何の楽しみがある?」と反発するからだと思うですよね。

 

つまりは「本当の自我」の声を聞いて、「適切な対処」をしない限りは根治しない心の病が「アルコール依存」なんですよ(だから、一旦完治したかに見えても簡単に再発するんです)。

 

「酒以外に楽しい事が無い」と「裏の自我」が訴えるなら、それを無視しないで、他に楽しい事を見つけるように努力する

「孤独が寂しい」(アルコール依存の人は大体そうだと思います)と訴えているのであれば、それを解消するように努力する(それが断酒会とかAAとかの意義だと思います)…。

 

結局そうしないと、回復は難しいのだと自分の経験から感じますよ。

 

 

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