人間は本質的にアルコールの味を好きではない。
私は酒飲みだったので、長年の間本当にアルコールの味を「これは美味い!」と信じて疑わずに飲んでたんですよ。
でも…冷静に考えてみると…
アルコールって本当に美味しいですか?
良く「このつまみを食べるときには、酒が欲しい」とかって言うじゃないですか?
でも、逆にアルコールってあまり単独で飲む事は少ないですよね?
飲む時にはある意味「味を誤魔化す」というか「アルコールのエグさ」みたいなのを消すために「味の強いつまみ」を必要とするんじゃないかと思うんですよね。
子供の頃に最初に飲んだビールの味って「苦くて不味い」じゃないですか?
これが大人になると飲めるようになるので「子供の頃にはわからない味なんだな…」って思ってたんですけど、良く考えると、大人になっても実はそれほど「ビールの味」に対する人間の感覚は変わってなくて、その味は本質的に「苦くて不味い」んじゃないかなと思うんです。
だって、本当に美味しい味なら「冷やさなくても美味しい」はずじゃないですか?
本当に美味しい料理なら冷えても美味しいものも結構あったりしますけど、生ぬるいビールをまず飲めたもんじゃないですからね。
つまり冷すという事は「味に自信が無く」て、「清涼感」で誤魔化しているんじゃないかと思うんですよね。
そう考えると、私が長年アルコールに対して覚えていた愛情は実は「錯覚」だったんじゃないかと思えてくるんですよ。
人間が本当に好きなのは「酔う事」で、それが欲しいあまり、美味しくもない酒を
「美味しい」と肉体が錯覚させてるんじゃないかと?
ちょっと外に出て「35度」ぐらいの酒を買ってきて直接飲んでみればわかると思いますけど、相当なアル中でもないかぎり、美味しいつまみでごまかさないかぎりはまず美味しくは飲めないですものね。
「人間は本質的にアルコールの味を好きではない」私は、これはアルコール攻略の鍵になるのではと考えるんですよ。
「可愛くて」「性格も良くて」みたいな女の子を嫌いになるのは、一度好きになったらまず不可能ですけど、
「厚化粧で」「性格の悪い」性悪女なら、厚化粧がはがれれば「百年の恋一日で醒める」事があるわけですからね。
「不味い」ものなら、後はアルコールが作り出す「錯覚」さえ取り除けば嫌いになるのは可能なはずです。
ああ、それからいつもタイトルに書いていた「禁酒〇〇日目」はやめにしました。
今までにも何回もスリップしてますしね。
それに色々な禁酒実験をするためには、ちょっとはお酒をあえて飲む必要もあると思うので。
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禁酒20日目。これまでの経過。
自分の心に隠された本音を分析し、それに対応した
「未来への人生工程表」を具体的に作成したため、とりあえず「未来への不安感」や「謎の苛立ち」などはなくなって精神状態が安定。
ほとんど飲酒欲求はなくなったんです…。
ここまではうまくいってるんです。今のところは。
ただ、アルコールはしつこいですからね、他の禁酒関係のブログとか見てると本当に
一年とか二年とか禁酒してても急にスリップしたりするので全く油断がならないんですよ。
私が考えるに、それは多分「我慢」が原因だと思うんですよ。
人間がある目的を達成のためにある一定期間「忍耐」する事はすばらしい事だと思うんです、精神を鍛える事にもなりますしね…でも、
忍耐(我慢)というのはある意味「無理する事」でもあるので、禁酒に勢いがあるうち(始めたばかりの頃)はいいんですけど、それがあまりに長期に渡った場合(断酒って基本永遠ですからね)は途中でどこか疲れてくるとつい「気が緩んで」スリップしてしまう…
ギャンブル依存とかアルコール依存のブログを数多く読んでいると、大体このパターンでスリップする事が多いです。
しかもスリップした後は前より症状が悪化してたりするんですよね。
今までの自分も大体このパターンで失敗してますからこの感覚は良くわかるんですよ。
それならさらに一歩進めて考えてもういっその事「本質的に酒が嫌い」になれば良いのでは?と思うんです。
以前読んだ「読むだけで絶対やめられる禁酒セラピー」なんかはまさにその方法ですし(徹底的に酒=悪論を展開します)、ブログで「酒は毒薬」的な内容を書かれる方もそうやって、「自己暗示」をかけていると思うんです。
ただ「禁酒セラピー」はちょっと内容に強引すぎる部分があり、どうしても自分は受け入れられなかったので(あれは自己洗脳の本ですから、思想的に合わないともうダメなんですよね)、あれと同じような事を今度は自分で考えればいいんですよね。
以前に聞いた記憶があるんですけど、確か人間の味覚っていうのは「自己暗示」である程度変えられると聞いた事があったんですよ。
自分も以前に変な味の外国の酒を飲んだ後に「口の中に」その味の記憶が残っちゃって、しばらくは何の酒飲んでも「不味く」感じた時期があったんですけど、
それって良く考えればその酒の味が「現在実際に口の中にある」わけでもなく、さらにその後飲んだお酒も「自分が好きな酒」であるにも関わらず不味く感じた…
という事は、完全に「心理的な問題で味覚が変化した」一例なわけですよ。
これを何とか「禁酒」に応用できないかな?…と今考えてます。
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アルコールは恐ろしい…本当に恐ろしい((((;゚Д゚))))
今日は休日なので、なんとなく禁酒ブログ系のサイトさんにお邪魔してブログなどを読ませていただいてたんですが…
それらを読むと、改めて「アルコールは恐ろしいな」と再認識しますよ。
みなさん一年とか二年とか断酒に耐えて家族との関係も良好になり、飲酒欲求も消えてきて、だんだん楽しい家族旅行の写真とかも増えてきたりして…読んでいるこちらも「これはもう大丈夫でしょう」と油断していると、ブログの内容がいきなり暗転!?、いきなり「連続飲酒状態になってしまい一週間ぐらいそのまま意識の無い状態で飲み続けてました。アルコール病棟に入院します」みたいになってたりするんですよね((;゚Д゚)
普通の人が読むとよくわからない展開だと思うんですけど、私はアルコール依存なのでこの感じは良くわかります。
私も経験あるんですけど、長く断酒していればいるほど、再飲酒した場合の飲み方が以前より酷くなったりするんですよね。
私の以前に「節酒」しようと決めて、酒を飲むのは週に土曜日だけと決めたんです。そしたら、その日だけでそれこそ今まで一週間かけて飲んでた量以上を飲んでしまいまして「これは逆に体に悪い」と悟って、翌日からはまた普通の「毎日飲酒」に戻った事があるんです。
アルコールは我慢する時期が長ければ長いほど「反動」がすごいんですよね。
まるでアルコールの悪魔が逆襲しているようにも感じられます。
「一年」耐えても「二年」耐えても、元に戻るのは本当に一瞬なんですよ。
対アルコール戦の場合は「ひたすら耐える」やり方ってどうしても長続きしないんですよね。私もいつもそうでしたもの…ストレスを忘れるために酒を飲んでいた人が、ひたすら「変わらぬストレス」にさらされたまま今度はさらに「我慢&我慢」の毎日でいくんですから…
スリップした人は「俺は何て意志が弱いんだ…」って例外なく落ち込んでますけど、私は逆にそんな「不利な戦い方」で1年とか断酒継続できた事すらすごい事だと思うんですよね。
私が今自分に行っているのはほぼ「自己洗脳」ですけど、割と長く断酒されている方は結構この「自己洗脳」が上手な方が多いですね。
アルコールに「ひたすら我慢」で戦うのは難しいんでしょうね…
どんな手を使ってでも「元の根」を断たないとダメだと思います。
禁酒19日目。自分に起きた変化。
今までは朝起きたらまずは
「酒のみたいな…」⇒「いやいや禁酒中だから我慢我慢!!」だったのが、
「自分の未来に対する肯定的なイメージ」(予定表)を心に作ってからは
「一年後には〇〇を達成しないとな」⇒「じゃあ今日はこれをしよう」に変わってきました。
飲酒欲求はほとんどというか…全く感じなくなりました。
自分の中では「禁酒中」は何か「小悪魔のようなものが体の中で暴れているイメージが」常にあったので、「ああ…俺の肉体はアルコールというドラッグに犯されてしまったんだな…」とずっと思い込んできたんですけど…
もしかして、自分程度のアルコール依存(それでも毎日、周囲の人たちがヒクほど飲みまくってましたけど)の場合はその原因のほとんどが「心の問題」なのかもしれないですね?
だからアル中は『「肉体依存」になる前の「精神依存」の段階で直せ。肉体依存になったら不治の病になる』って言われてるのかもしれません。
、
禁酒18日目。まだまだ油断できませんが…
ここ数日感、ずっと人間の「表の心(顕在意識)」と「裏の心(潜在意識)」の乖離が飲酒欲求の原因なのかもしれない?
というフト思いついた自論(笑)を展開していたんですよね。
もちろん、自分の飲酒欲求が丁度禁酒二週間あたりからいつも厳しくなるので、その厳しさを紛らわすために、単に自分が「そうだったらいいな…」程度に考えていただけなんですけど。
でも、何故か最近ベストセラーにもなった京セラの稲森会長の本「生き方」にもそれらしい内容が書かれていますし、割と人生長く生きている「多分尊敬出来そうな人たち」はみんな同じ事書いてたりするので、まあ自分の自論もそれほど的外れではないんだろうな…と思いながら、
ここしばらくの禁酒で気づいた、これまではずっと無視してきて気付けなかった「自分の本音(潜在的な本音)」を素直に認め、「どうすれば改善できるか」考えて全て書き出してみたんですよ。
つまりは自分の「心の本音」を聞いた上で「肯定的な将来イメージ」を設計してみたんです。
まあ、中には「結婚する」とか、すぐにはどうしようも出来ない約束もあるんですけどね。まあ、そういうのは「小さな事からコツコツと」みたいに「頑張ります」としか約束できませんが…(笑)。
そしてそれをしたら、本当にその次の日から目に見えて飲酒欲求がなくなってきたんですよ…
まだ三日目なので、自分でも「本当かよ!?」と思う部分もあり正直まだ半信半疑ではあるんですけどね。
でも、自分は飲酒欲求が相当強い方なので、禁酒中でもいつも「ああ…飲みたいな」みたいに思わない日は一日もなかったくらいなんです。
それなのに今は下手すると、酒のこと完全に忘れてたりするんです?。
結局自分のアルコール依存の原因って「未来に希望を持てなかった」事なのかもしれないですね。
もちろんまだまだ仮説の段階ですから、検証がすむまで油断は禁物ですけどね。
禁酒17日目。アル中の回復率。
アル中の回復率っていうのは、どこが出処かはわかりませんけど、良く1%(100人に一人)とか2%(50人に一人)とか言われてますよね?。
まあ、どのみち凄く回復する人が少ないというのは確かなんですよね。
私も禁酒してみて痛感したのは「元を直さないと難しい」という事でした。
そもそも、アルコール依存になる人というのは「人生がうまくいっていなのに、その状態を長年放置していた」からそうなると思うんですよね。つまりはこの段階ではまだ肉体的というよりは心の病気なんですよ。(ここで直さないと、「精神依存」から本格的な「肉体依存」になり、麻薬中毒並みの困難な治療になります)
私も自分がシラフでいるときに感じる年々大きくなっていく心の穴の正体が何か分からずに、そこから逃避する意味で飲酒してたんですけど、もちろんそんな事は禁酒を決めた時には意識してなくて、ただ「これ以上飲みすぎると、さすがに死ぬからもうやめよう」くらいの気持ちで始めたんです。
つまりは「本質から目を背けたまま、その症状だけを対処療法で抑え込もう」としてたんですよね。
でも、さすがにこのやり方はしんどいですよ…。
船底に穴があいたまま、その穴を塞ごうとせずにただひたすらバケツで水を汲み出して一時的に沈没を抑えるやり方なので、とにかく心が休まらないですし、力尽きたらもうそこで終わりですからね。これでは労力が無駄にかかる上に、成功しにくいやり方だと思うんです。
多分簡単に断酒できる人というのは、この「穴」が比較的に小さい人で、逆にほとんどのアルコール依存の方は「かなり大きな穴」が心に空いているいるから回復しにくいと思うんですよね。
人間が厄介なのは、他の動物と違って「心が二つ」ある事です。
「個人」でありながら同時に「社会的」な存在でもあるという二重存在である事を強いられている複雑な存在だからですよ。
もし心が一つなら「酒は体に悪いからやめよう」で済むはずですし、それが当然ですよね?。
でもそれができない、何故か?
それは表面に現れている、それまでの社会生活によって作り出された「社会的自我」が「酒は体に悪いし、社会的な体面も悪いからやめよう」と意識決定したとしても
内心にあるもひとつの「本当の自我」が「それじゃ酒以外に何の楽しみがある?」と反発するからだと思うですよね。
つまりは「本当の自我」の声を聞いて、「適切な対処」をしない限りは根治しない心の病が「アルコール依存」なんですよ(だから、一旦完治したかに見えても簡単に再発するんです)。
「酒以外に楽しい事が無い」と「裏の自我」が訴えるなら、それを無視しないで、他に楽しい事を見つけるように努力する。
「孤独が寂しい」(アルコール依存の人は大体そうだと思います)と訴えているのであれば、それを解消するように努力する(それが断酒会とかAAとかの意義だと思います)…。
結局そうしないと、回復は難しいのだと自分の経験から感じますよ。
禁酒16日目。ああ、そういう事か!?
私が以前にTVを見ていたら、あるミュージシャンのインタビューがやってまして、
その人がこんな事をいってたんですよ。
「人間って、心の中で強く映像イメージを抱くと、吸い寄せれるようにそういう人間になってくんだよね」と。
「本当かよそれ?」と思ったんですけど、やってみるのはタダなので、私も一応やってはみたんですよ。
基本的にはリアルにイメージすればするほど良いらしく、何しろ私はイラストレーターになるくらい「イメージのビジュアル化力」が強い人間なので、心の中の映像をまるで現実に目で見ているくらいのレベルまでビジュアル化できるんですよ。
それで結果は…結構それは本当でした。
「お金が欲しいな」と思ってイメージしたら、自然にそういう行動をとり始めて結構な大金が手に入ったりして(笑)。そんな事が本当に何度もあったんです。
だだ、これには失敗する場合もあって、自分でも成功する場合と失敗する場合の違いがどうしてもわからなかったので、せっかくの技術を心の奥にしまいこんで長年忘れてたんですよ。
最近ブックオフで手にした「ある成功した人の自伝」を読んでいたら、やっぱり昔の私と同じやり方をしてましてね。「ああ、やっぱりみんな同じ方法なんだな」と思うと同時にちょっとその時のことを思い出して「じゃあ、何で失敗する場合があるんだろう?」と色々考えてみたんですよ。
そうしたら、ついに長年の謎が解けたんですよ!
それは「表の心」と「裏の心」の反発が原因だったんです。
「表の心」というのは今の自分が意識している「心」そのもので、
「裏の心」というのはユングの著書などで「潜在意識層」とか呼ばれている部分で、未分化な感情などが渦巻いている領域なんです。この層を上手に使える人が世間で言う「人生がうまくいく人」で、使いこなせない人が逆に「人生がうまくいかない人」なんですよね。
例えば「お金が欲しい」とイメージした場合は大体「表と裏」が一致するので、それほど苦労はしないんです。心がその方向で定まると、肉体は自然と「お金がたまる」ような行動をとりますからね。
現実にいつもお金がない人たちはこれとは逆に「俺は貧乏なのが当たり前、だって現実がそうだから」と「表と裏の心に」に常にすり込んでいて、しかもそれは現実なのでそのまんま無反発で吸収され「ひたすら貧乏になるような行動を無意識のうちにとらされる」んですよ。
ただ「もっと給料が良い仕事に転職したい」とかの場合などはちょっと複雑で、「表の心」が同意しても、「裏の心」は「例え給料が安くても慣れた現在の生活(仕事)を変えたくない」とかの抵抗エネルギーが生じる場合があるので、
「精神」が両側から引っ張られる形になり、結果「方向が定まらないため、実現化する行動」もとれずに、当然のごとく「失敗」する事になるんです。
思い起こせば自分が人生で「失敗した」時は見事に全てこのパターンだったんです。
「どうも人生が上手くいなかい」という人は良く考えてもらうと、ほとんどこのパターンで思考しているはずです。
それをアルコール依存治療に応用して考えるとどうなるのか?
つまりは表の心が「お酒は健康によくないからやめたい」なのは間違いないので、後は「裏の心」の「お酒を飲むしか楽しい事が無い」が反発しているから、「肉体」がそういう行動(禁酒行動)をとれなかった、と思うんですよ。
でも、やっと長年の謎が解けたましたからね。
「これからはお酒以外にいくらでも楽しい事を作り出せる」と気づけたので、これでもう本当にお酒とは別れられると思いますよ。